読書の旅

私にとって「読書」とは何かを考えます。

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド(村上春樹)

ボブ・ディラン氏のノーベル文学賞のニュースを聞いて、私は、真っ先に村上春樹氏の『世界の終りとハードボイルドワンダーランド』の一説が思い浮かんだ。

 

「私は目を閉じて、その深い眠りに身をまかせた。ボブ・ディランは『激しい雨』を唄いつづけていた。」

 

読後、脳裏にこびりついて離れない文。衝撃的だった。

 

初めて「ボブ・ディラン」という単語(あえて単語とする)を知った。小説の中にあまりに何度も出てくるものだから、その語感にはまってインターネットで検索をし、そこで初めて実在する歌手の名前であることを知ったのである。世代的になじみも薄く、歌もまったく知らない。だが、村上氏の小説のなかでもひときわ存在感を放っていたことは確かであった。

 

村上春樹氏の小説に出てきた人物が、文学賞をとったようなふしぎな感覚になった。それくらい、この小説の重要な要素であった。

 

さて、ボブ・ディラン氏の話はこれくらいにして。

 

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランドで、気に入っているセンテンスを紹介したい。三年前に文庫を購入したときに、キャンペーンで「ワタシの一行」という付箋が付いてきた。せっかくだから使おうとして、三年前に貼ったものである。いま読み返すとなぜそこに貼ったんだ?というものもあるが・・・

 

1「他人から教えてもらったことはそこで終ってしまうが、自分の手で学びとったものは君の身につく。」(上巻p.173)

 

2「何が僕を規定し、何が僕を揺り動かしていのかを知りたいんだ。」(上巻p.243)

 

3「想像というのは鳥のように自由で、海のように広いものだ。誰にもそれをとめることはできない。」(上巻p.277)

 

4「戦いや憎しみや欲望がないということはつまりその逆のものがないということでもある。それは喜びであり、至福であり、愛情だ。絶望があり幻滅があり哀しみがあればこそ、そこに喜びが生まれるんだ。」(下巻p.260)

 

5「人間の行動の多くは、自分がこの先もずっと生きつづけるという前提から発しているものなのであって、その前提をとり去ってしまうと、あとにはほとんど何も残らないんだ。」(下巻p.282)

 

6「世界には涙を流すことのできない哀しみというものが存在するのだ。それは誰に向って説明することのできない哀しみというものが存在するのだ。それは誰にも理解してもらうことのできない種類のものなのだ。その哀しみはどのような形に変えることもできず、風のない夜の雪のようにただ静かに心に積っていくだけのものなのだ。」(下巻p.393)

 

7「公正さは愛情に似ている。与えようとするものが求められているものと合致しないのだ。」(下巻p.395)

 

日々目の前に降りかかってくることに対峙していると、人間が限られた時間で生きていることを忘れてしまう。自分にもいつか深い眠りに身をまかせるときがくるという当たり前の現実が、冬朝の雪道でつま先から芯まで冷えていくような感覚を伴って、私の中に入ってきた。生きているとどうしようもない哀しみに出会うことがあるけれど、どんなに叫んでも、他人に助けを求めても、その人自身が乗り越えていかなければならないものでもあるんだなあとも思った。人間は一人で生まれて一人で死んでいくのだなと、しみじみと感じた。そのときがくるまで、ちょっと人生悪あがきしてみるのも悪くない。

 

はる