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読書の旅

私にとって「読書」とは何かを考えます。

図書館戦争(有川浩)

大学時代、「阪急電車」が面白かったと部活の先輩に話したら、有川浩作品ということで快く貸していただいたのが、図書館戦争だった。とても面白かったが、読むのが遅く、途中でお返しした記憶がある。

 

それから本には触れていないのだが、WOWOWで放送していた映画を観た。

 

映画は、岡田くん演じる堂上教官の台詞にときめく。栗山千明さんもかっこいい。実際の自衛隊のヘリや車輌も使い、圧巻の戦闘シーンだった。

 

何より泣けたのが今は亡き児玉清さんが(写真ではあるが)出演されていたことだろう。あの役は本を愛した児玉さんにしか出来ないと思った。

 

映画から、表現の自由を当たり前に思い、無関心になってはいけないのだなというメッセージを受け取った。表現の自由がおびやかされることはあってはならないが、それに甘んじて無関心でいてはいけないのだと。

 

それを守る使命が劇中では図書隊のメンバーだったけれど、あのメンバーのように一人ひとりが本をそして表現の自由を大切にしていかなければならないのだなあと感じた。

 

最後に、映画のなかで好きな台詞を。

「正論は正しい。だが、正論を武器にするのは正しくない。」

 

深い。たしかに正論は正しいんだけれど、正論ばかり言っている人は敬遠されがち。世の中、例外な事象が多いんだなあ、きっと。むしろほぼ例外ともいえる。正論は正しいという面では強いけれど、そこから外れた各々の事象に対しては滅法弱い気がする。正論を武器に相手を傷つけるのはよくないという意味で堂上は手塚に言ったのかと思われるが、生き方の参考になる台詞だった。

 

次は映画ラストミッションも見よう。

 

はる

読書体験(小学校中学年~)ハリー・ポッターシリーズ

更新していない間も訪問してくださりありがとうございます。

 

久々の更新は、止まっていた読書体験(小学校中学年~)。

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小学3年の頃、ハリー・ポッターがはやり始めた。翌年には、賢者の石の映画が公開され、日本中がハリポタブームとなった。

 

私も流行に乗って、ハリー・ポッターシリーズに夢中になった小学生の一人だった。人生で初めて、時間を忘れて「夢中になって読む」体験をしたのはこの本である。発売日にはごはんを急いで食べて、お風呂も急いで入って、寝る間も惜しんで一気に読破した。

 

こんなに楽しい世界があるとは!すっかりハリポタの世界にのめり込んでしまった。イギリスにはホグワーツ魔法学校が実在しているのではないかと思っていたし、夜になるとヴォルデモート卿のことを本当に恐れていた。いつか自分も、9と4分の3番線からホグワーツへ行けるのではないかというわくわく感を持っていたし、ちょっと怖いけれど、ホグワーツへ行ってみたくてたまらなかった。自分が何寮になるかも何度想像したことか。

 

最終巻は日本語訳が待てなくて、英語版を買って読もうとするくらい、続きが気になって仕方なかった。(※結局、英語版は挫折・・・( ;∀;))

 

登場人物、ストーリーなど物語の魅力は語りつくすことはできないが・・・

 

私にとってハリー・ポッターシリーズは、読書の楽しさを教えてくれた本であり、読書はいろいろな世界に自分を連れていってくれるものだと教えてくれた本でもある。

 

はる

京都で行ってみたい本屋さん

恵文社一乗寺店

雑貨やこだわりの本が並ぶ、本にまつわるあれこれのセレクトショップ

次に京都へ行ったら行ってみたいなあ!

http://www.keibunsha-store.com/

 

②これは本屋さんではないけれど・・・

今話題のBOOK AND BED TOKYO のKYOTO店

泊まれる本屋さん。でも本は販売していません。

①の恵文社さんが選んだ本が3200冊読み放題。

大好きな本を読みながら寝落ちるしあわせな感覚を味わうというのがコンセプトみたい。

カードのみの決済だそうです。

宿泊は大人気だそうなので、デイタイムで利用してみたいなあ!

bookandbedtokyo.com

ロンドンブックスさん

京都嵐山にあるロンドンブックスさん。

昨日紹介した、『錦繡』を買ったお店です。

時雨殿から、JR嵯峨嵐山駅へ戻る途中に寄りました。

とってもおしゃれな店内で、美術書や人文書も充実していました。観光地ならではの京都本コーナーも。また、嵐山へ行く機会があったら足を運びたいお店です。

 

http://londonbooks.jp/about.html

 

はる

錦繡(宮本輝)

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美しい。

とにかく言葉が美しい。
書簡体で綴られたこの小説の最大の魅力は、日本語の美しさであると思う。
こんなにも美しい日本語がこの世に存在したのかというほど、感嘆した。
一組の男女の往復書簡であるから、漢語体で書かれたような堅苦しさがない。
平易な日本語を使っているのに、紡ぎ出される文章の美しさに舌を巻かずにはいられなかった。

「前略 蔵王のダリア園から、ドッコ沼へ登るゴンドラ・リフトの中で、まさかあなたと再開するなんて、本当に想像すら出来ないことでした」

女が送った一通の手紙は、それまで止まっていた二人の時間を動き出させる。
お互いの知らない過去を手紙で埋め合うことで、次第に二人は「今」に目を向けられるようになる。
互いに対して抱いていた思い込みは、相手にとっての真実とは違っていた。
少しずつ掛け違えていたボタンが、なおっていくような感覚。
読者は、二人の手紙を読みながら、手紙の宛先の人間になったつもりでその真実を知っていく。
掛け違っていったボタンが直っていっても、二人は人生のなかでは交わることがない。
けれど、手紙のなかでは、最初に互いの心に渦を巻いていた怒りや哀しみのようなものが次第に色が薄くなっていくのが分かる。
決して消えるわけではない。けれど、何かどす黒い得体のしれないものが、やわらかな光に包まれた明るいものになっていくのだ。
「みらい」はどうなるかわからないけれど、「今」を見つめることができるようになったのは紛れもなく手紙を綴ることによって得たものだ。

それが女のこの手紙に表れている。
「過去なんて、どうしようもない、過ぎ去った事柄にしかすぎません。でも、厳然と過去は生きていて、今日の自分を作っている。けれども、過去と未来の間に「今」というものが介在していることを、私もあなたも、すっかり気づかずにいたような気がしてなりません。(p192)」


読後のこの感覚を心のなかにしまっておきたいので、ここらへんで。


はる


追記。
京都嵐山で偶々友達と入ったおしゃれな古本屋さん(ロンドンブックス)で買った本です。以前より、そのお友達に薦めていただいていた本でした。
その本を手に入れるまでのエピソードって、なんだか、その本をより一層愛着あるものにしてくれますね。

ぼくの小鳥ちゃん(江國香織)

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冬の朝、ホットコーヒーを飲みながら窓辺で読みたい本。

主な登場人物は、ぼく、小鳥ちゃん、ぼくの彼女である。
ある雪の朝、ぼくの部屋に小鳥ちゃんがやってきた。
この小鳥ちゃん、ラム酒のかかったアイスクリームが好きだっていうから只者じゃない。
しかも、妙に色っぽい。
小鳥ちゃんは、彼女がぼくの部屋に来ると、決まって写真立てを倒す。
素直になれないところがいじらしい。
おいおい、ぼくよ、なぜそんなにもスムーズに小鳥ちゃんを招き入れてるのだ?と彼女だったら思ってしまいそう。
ぼくと彼女が手をつないでスケートをすれば、小鳥ちゃんは不機嫌になり、ぼくは小鳥用のスケート靴を作る。
なんだろう、この関係・・・恋ではないけど、ふしぎな感覚。
小鳥ちゃんが階上の家へママレードを煮た日に行っていることを知って、微妙にすねるぼく。
小鳥ちゃんはふしぎな魅力の持ち主だ。ぼくの所有物でもないし、彼女でもない。
でも、確実にぼくと通じ合っている。
ぼくと小鳥ちゃん。
この二人の関係を考えると、なんだか恋でも友情でもない何かを感じる。

**

追記
江國香織さんの描く冬の景色が好きになった。
以前、江國さんが翻訳した外国の絵本で「おひさまパン」を読んだ。
今回の本でもその絵本でも、江國さんは冬の景色を「町が色をうしなう」と描写していた。
その感覚がすっと胸に落ちるようで、私は好きになった。



はる

手のひらの京(綿矢りさ)

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ーなんて小さな都だろう。まるで川に浮いていたのを手のひらでそっと掬い上げたかのような、低い山々に囲まれた私の京。(p.147)
 
綿矢りさ『手のひらの京』
 
 おっとりした長女・綾香。
恋愛に生きる次女・羽依。
自ら人生を切り拓く三女・凜。
 
物語は、東京で就職したい(京都を離れたい)三女の凜を軸に、凜→羽依→綾香の順(繰り返し、最初と最後は凜)で話が進んでいく。冒頭の引用は、凜の目線で語られた言葉である。
 
「結婚」が長女の至上命題で、「恋愛」が次女の至上命題、「上京」が三女の至上命題。京都というまちで、一つ屋根の下で暮らす奥沢三姉妹それぞれの機微が丁寧に描かれている。
 
読み進めながら、凜は、綿矢さんがいちばんご自身を投影した登場人物なのではないかと感じた。京都に生まれ京都で育ち、結婚をして東京に住むことになった綿矢さんならではの故郷京都を想う気持ち。ただ好きな場所として描くのではなく、東京に出たからこそ分かる?京都ならではの閉そく感も描き出したかったのかななどと思った。
 
結婚後初の単行本だったと思うけれど、これまでの綿矢作品にはあまりなかった料理のシーンも。凜目線のパートでこんなシーンも。「私も主婦として定年を迎えます”・・・(中略)・・・二度と食事は作らないという母の宣言だった。」なかなかにセンセーショナルな響き。毎日三食料理を作らねばならない母の大変さがにじみ出ている。
 
凜の心の動きがこんな情景描写にも表れる。
「どこまでも広がる空は柔らかさを残したまま夕方を迎え、玉ねぎを炒めたきつね色に変化している。デミグラスソース色へと変わってゆくさまは、自転車に乗りながら眺めよう、と決めて凜は立ち上がった。」
この表現は京都の空を眺めながら、上京を決意する凜の気持ちが表れているように感じた。この例え方こそ、「綿矢りさ」さん!という感じで、私は大好きだ。
 
綿矢さんの小説は、彼女の歩みとともにあるというか、情景描写なんかは「蹴りたい背中」から変わらぬ綿矢スタイルだと思うけれど、物語の主題が綿矢さんが書いているときに問題意識を持っているものをものすごく反映しているというか・・・だから、目が離せない作家さんなんだあと思った。
 
京都新聞の記事によれば、昨年末には男の子も出産されているそう。いつかママ友とか子育てのことも入った小説も読めるのかなと期待している。
 
大好きな京都を、大好きな京都出身の綿矢りささんが描いたらどんな風になるんだろう。ひそかに、綿矢さんが描く京都を楽しみにしていた私にとって、装丁も帯もまるっと手のひらで包み込みたくなるような一冊。
 
本の帯には、「京都の春夏秋冬があざやかに息づく綿矢版『細雪』」近代文学好きにも谷崎ファンにも手に取ってもらえるようなキャッチコピー。この冬は、じっくり『細雪』を読もうかなぁ。『細雪』と比較してみるのも面白いのかもしれない。

 
はる